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今、読者の皆さんと一緒に考えたいと感じた
ホットなトピック

 

ひさびさにLOGICの話を。 

LOGIC代表の佐々木です。LOGIC MAGAZINEはユーザーや読者の皆さんの仕事のパフォーマンスの向上を目的したメディアで、普段はLOGICのPR・告知はしないスタンスなのですが、すこしだけ話をさせてください。

LOGICのバージョンアップがいよいよ動き出します。

2020年8月に初回であるVer.1.0の発売以来、ユーザーへのアンケートやインタビューなどを様々な声をもとに、次回バージョンの試作を進めて参りました。そこで、固まりつつある方向性に関し、なるべくオープンなかたちで、そして、すこし商品企画に参加するような体験になってもらえればと、改めて皆様からのご意見を募りたいと考えております。

一度でもLOGICを使ったことあるかた、検討はしたけどLOGICを購入しなかったかた、LOGICに接点を持ったことあるかたであればどなたでも構いません。以下の2つを募集いたしますので、ぜひご参加の程よろしくお願いいたします。


その①「次期商品企画アンケート」

スプレータイプの泡洗顔とミスト化粧水で忙しい日々のミニマルスキンケアを目指したVer.1.0に対する課題やリクエストを簡単な設問形式で回答いただき、次回Ver.の進化のヒントにさせてもらいたいと考えてます。答者には次回Ver.の優待クーポンを進呈いたします。

 

その②「次期商品サンプルモニター」

(15名様程度・抽選にて選定)

現在すすめてる試作を実際に使用していただき、使用感や感想をレポートしてくださるかたを募集します。モニターとしてレポートしてくれた方には次回Ver.の商品+オリジナルアメニティを進呈します。

両方ともご参加はこちらから

 

LOGIC | PEOPLE

第一線で活躍するプロフェッショナルの体験や知見から
パフォーマンスアップにつながるヒントを学ぶ。

014
ファンズ株式会社
藤田雄一郎氏

LOGIC MAGAZINE第14回インタビューにご登場いただくのは、さまざまな貸付ファンドに個人が少額から投資できるオンラインマーケット「Funds」を運営するファンズ株式会社の藤田雄一郎氏。今でこそ資産運用の領域で変革を起こそうとしている藤田氏だが、大きな原体験があって取り組んだわけではなかったという。どうして現在の事業に取り組もうと考えたのだろうか。(聞き手:LOGIC MAGAZINE編集部 佐々木、村上)

 

個人の新しい資産形成の仕組みと、
企業の新しい資金調達の手段をつくりたい

ー藤田さんはなぜ資産運用の領域で起業しようと考えたのでしょうか?

藤田:僕は過去にも起業の経験があって、そのときは友人とWeb制作会社を経営していたのですが、レッドオーシャンだったこともあってすごく苦労したんですね。それでもご縁があって上場企業に会社を買収してもらったのですが、次に起業するときはきちんと事業領域を見極めたいと考えてました。それでいろいろ調べたところ、海外で金融領域が盛り上がっていることがわかって。

ーそれはいつ頃の話ですか?

藤田:2012年頃ですね。まだフィンテックという言葉すら世の中に浸透していませんでしたが、日本でもこの領域は来るんじゃないかという予感を感じて。ただ、その当時は金融リテラシーも高くなかったので、どこかで知識を身につけたいと考えていたところ、貸付型クラウドファンディング事業の立ち上げをしたいという起業家からマーケティング担当として参画してほしいとオファーをいただいたんです。その会社には3年ほど在籍したのですが、その時期に金融の知識や金融業の運営について学びました。

ーどのあたりに可能性を感じたのでしょうか?

藤田:個人からお金を集めて企業に貸すという仕組み自体が日本で珍しかったですし、貸付型クラウドファンディングはハイリスク・ハイリターンになりやすかったので、もう少し利回りが低くても安心感のある運用を求めている人がいるんじゃないかと思いました。

ーそうすると、何か原体験があって金融領域でやっていこうと考えたわけではないということですよね。

藤田:若い頃にお金に困っていたから、みたいなわかりやすいエピソードは何もないんですよね。でも、10年近く金融領域に携わっているなかで徐々に知識も身につき、課題も見えてきたので、僕たちがパイオニアになるんだという使命感みたいなものは持つようになりました。今はFundsを通じて個人の新しい資産形成の仕組みをつくること、そして企業にとって新しい資金調達の手段を提供することをライフワークにしたいと考えています。

ー起業家の原体験にフォーカスが当てられることも多いなかで、藤田さんのような存在はモデルになってすごくいいと感じます。

藤田:やりたいことが見つからない人は、自分ができることや得意なことをビジネスの視点で考えてみたり、この領域が伸びるんじゃないかという予測を立てて動いてみるのもいいと思います。僕のように次第にフィットしていくこともあるので。

 

リスクを抑えて資産運用したい層が想像以上に存在した

ー事業をはじめる以前は仮説に基づいていろんなことを進めていくと思うのですが、実際に事業をはじめてから感じた嬉しい誤算はありますか?

藤田:きちんとニーズがあったことですね。株や仮想通貨は失敗する可能性もありますが、うまくいけば資産を何十倍〜何百倍にできる世界なわけじゃないですか。でも、僕たちのサービスは年で1〜3%程度しか金利がつかないので、利用してくれる人は本当にいるのだろうかと懐疑的になることも少なからずあって。でも実際にサービスをはじめたら、公開されたらすぐに満額成立するファンドもあって、リスクを抑えて資産運用したい層が僕たちが想像している以上にいることを知りました。だからこそ、この事業にさらなる可能性を感じるようになっています。

ー資産形成にあまり時間を取られたくない人や、ちょっとした値段の上下に一喜一憂したくない人がいるんでしょうね。

藤田:そういう人の受け皿になっていたのが銀行だったと思うんです。ただ、現在はお金を預けてもほとんど金利がつかない。それならばFundsで投資しようと考える人が一定数いるのが現状だと考えています。しかもFundsなら一度投資した後はほったらかしで大丈夫ですし、貸付先も上場している企業が多いので、そのあたりも安心感につながっているんだと思います。

ーFundsを資金調達に利用する企業側の声も徐々に変わってきているのでしょうか?

藤田:そうですね。Fundsのような資金調達の方法があることが少しずつ浸透してきています。あとは投資家とダイレクトに関係を構築することもできるので、そういう方々と接点を持ちたいと考えている企業からのニーズも増えていますね。あと面白いアンケート結果もあって。Fundsを通じて投資をしていただいた方の9割が、貸付先の企業をより一層好きになったと回答しているんです。これは推測ですが、投資をする段階でその企業のことをいろいろ調べることになるので、もっと応援したいと思うんですしょうね。

ーそれは株による投資とは違ったコミュニケーションですよね。

藤田:株だと損益も一緒に享受することになるので緊張感がありますよね。その点、Fundsは貸付先の企業が倒産等しなければ投資元本に損失が生じない仕組みなので、もう少し柔らかいコミュニケーションが取れると思います。

 

資産運用を当たり前にして個人と企業の関係を近づけたい

藤田:最近は事業のフェーズが一段上がった印象があるんですね。サービス立ち上げから現在に至る2年は、投資対象となるファンドがずっと足りていなかったんです。ファンドの募集を開始するとすぐに満額成立する状態で、投資したくでもできないと言う声を投資家からいただくことも多くて。ただ、最近になってファンドの数が増えてきて、今度は一部、ファンドが満額成立しないケースも出てきました。だから、現在はもっといろんな人にFundsのことを知ってもらうためにどうすればいいかを思考錯誤しています。

ーとはいえ、2020年から2021年までの1年間で投資家は1万人も増えていると聞きます。これから先、さらに市場が活況することが期待されますが、藤田さんはどのような未来を描いているのでしょうか。

藤田:資産運用の領域でメルカリやLINEのような国民的なサービスにしていきたいですね。それこそ、金融リテラシーが高い人や資産がある人だけに開かれたものではなく、一般人が当たり前のようにFundsを使って資産運用できるようにしたいなと。そうすれば、個人と企業の距離感はもっと近くなるし、同じ船に乗った仲間のような関係性を築くことができるんじゃないかなと思います。

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藤田雄一郎さんのパフォーマンスアップのためのルーティーン 

「早寝早起き」

若い頃から夜型で、仕事のコアタイムは夜10時から夜中2時まで。3〜4時に寝るのが当たり前でした。でも、新型コロナウイルスの影響で会食がなくなったことをきっかけに早寝早起きに切り替えたところ、仕事のパフォーマンスが一気に向上しました。現在は22時に寝て5時に起きる生活を送っているのですが、あと5年早く気づいていたら人生が変わっていたと思います。

「朝のシャワーと散歩」

朝起きて最初にするのがシャワーを浴びること。自律神経が活性化されるので、まだ少し寝ていたいなと思う日も気持ちを切り替えることができるんですね。それから30分ほど家の近所を散歩します。太陽の光を浴びるとセロトニンが分泌されるのですが、これは夜になるとメラトニンという睡眠物質に変化するので自然と眠りにつきやすくなるんです。

 

藤田雄一郎さんのおすすめのワークツール

「Fitbit」

朝方生活に切り替えてからApple WatchをFitbitに変えました。睡眠スコアを出すことができるので、それを体調の指標にしています。

「ニューバランス990v5」

散歩のお供です。僕は腰痛持ちで、無理をするとぎっくり腰になってしまうんですね。だから、990v5のクッション性の高さと歩きやすさがすごく気に入っていて。色違いで3足持っています。

 

 

LOGIC | CULTURE

教養としてのカルチャーを楽しみながら学ぶ。


「アートのロジック」第4回

『葛飾北斎』

知ってるようで知らないアートを読み解く連載「アートのロジック」。第4回は、世界に影響を与えた日本屈指の浮世絵師・葛飾北斎です。『富嶽三十六景』が有名な葛飾北斎ですが、実はそれまでにさまざまな紆余曲折がありました。その歴史をたどります。

江戸後期の浮世絵師・葛飾北斎。その代表作といえば、誰もが思い浮かべるのが、小さな富士を大波が飲み込む光景を描いた「神奈川沖浪裏」でしょう。この一枚を含む『富嶽三十六景』は、たしかに北斎の最も重要な仕事のひとつですが、こうした風景版画は彼が70歳頃の数年に手がけた一時期の仕事に過ぎません。北斎は、当時としては異例の長さである90年という人生において、その画風をつねに変化させ続けた探求の人でした。

その変遷ぶりを感じてもらうため、北斎の初期の経歴を簡単に振り返りましょう。

北斎は宝暦十年(1760年)、現在の墨田区亀沢に生まれました。幼名は時太郎、のちに鉄蔵に改名します。本人によると、6歳頃から絵が好きで、10代は貸本屋で働いたり、版木彫の仕事をしていたとされます。19歳で、リアルな役絵者絵で知られた浮世絵師・勝川春章に入門すると、翌年にはさっそく師の名を譲り受けて「春朗」の号をもらっており、破格の扱いを受けていたことがわかります。デビュー作は歌舞伎役者を描いた役者絵で、約15年間続いた春朗期には、ほかに「黄表紙」と呼ばれる挿絵本など膨大な作品が作られました。

しかし春章の死後、北斎は勝川派を離脱し、二代目「俵屋宗理」を名乗ります。この画号は、江戸でいわゆる「琳派」様式を目指す一門の頭領が用いたものとされ、北斎は襲名のため作風を一変。当時流行していた狂歌絵本の挿絵に挑戦したり、「宗理風」と呼ばれる細身の女性を描く独自の美人画で評判を広げていきます。ところが襲名のわずか3年後、今度は「北斎辰政」を名乗って独立。ふたたび仕事のスタイルを変えていくのです。

このように、北斎は繰り返し改号を行い、そのたびに新境地を開きました。改号の回数は生涯でなんと30回。知的な読本の挿絵から猥雑な春画まで、この振り幅こそが北斎の最大の魅力と言えます。ちなみに馴染み深い「北斎」の名は「北斎辰政」で初登場しますが、これは彼が崇拝した妙見菩薩が北斗七星の化身とされ、北斗七星に「北辰」などの別名があることに由来します。

北斎は海外の画法も貪欲に吸収しました。洋風画の透視画法を取り入れたり、またあるときは中国の明清画の表現方法を導入したり。たとえば、40代に制作した「おしをくりはとうつうせんのづ」では、洋風画を参照して波に影を付けたり遠近を強調したりと、のちの「神奈川沖浪裏」につながるようなリアルな波を描いています。北斎と言うと、印象派など西欧の芸術家にインスピレーションを与えたという外向きの影響関係が強調されがちですが、その斬新な表現は、彼のたゆまぬ研究心の賜物でもあることは、もっと認識されてよいと思います。

そんな北斎の万物に対する好奇心や理論派の部分が端的に見られるのが、50代から活発に制作された絵手本の仕事です。これは文字通り絵の勉強に使う手本で、たとえば、西欧での浮世絵ブームの端緒となった有名な『北斎漫画』全15編では、人体や動植物、日用品、風俗や神仏まで、森羅万象の描き方を指南し、透視画法に関する図説も行っています。こうした手本は従来、師から弟子に手書きで伝えられていましたが、北斎は多数の門人や全国にいる愛好者らに応えるため、これを大量摺刷可能な版本にまとめました。

冒頭に触れた『富嶽三十六景』の斬新な風景版画は、こうした長年の蓄積が濃縮されて生まれたものだと言えます。洋風画から学んだ視覚や構図、中国画の写実表現など、そこには北斎の研究の成果が息づいています。また、各地の景勝地をある種ステレオタイプに捉える従来の名所絵と違い、気候や視点によって変化するひとつの対象(富士山)のさまざまな姿を描くという画期的なコンセプトや、当時輸入されて大流行していた「ベロ藍」と呼ばれる合成化学顔料の魅力的な色彩も、『富嶽三十六景』を特別な作品としました。

日本の美術史という意味で言えば、この作品の流行により、それまで役者絵と美人画を二大ジャンルとしていた浮世絵版画の世界に、風景版画という新ジャンルが確立されたことも大きいでしょう。この分野からは、35歳年下の歌川広重ら、後続の人気作家も現れました。

75歳を迎えた北斎は富士山図の集大成『富嶽百景』を出版し、画号を「画狂老人卍」に改めました。この『富嶽百景』の跋文(あとがき)は、北斎の探究心を示す文章として頻繁に引用されます。そのなかで彼は、70歳までの絵は取るに足らないもので、73歳にしてようやく動植物の骨格や本質を悟ったと語り、80歳、90歳、100歳とさらに上達し、110歳で一枚一枚の絵が生きたようになるだろうと意気込んでいます。まさに「画狂老人」です。

この言葉通り、晩年の北斎はとりわけ肉筆画に注力し、死の間際まで創作を続けました。辞世の句は、「ひと魂でゆく気散じや夏の原」。死後は、人魂になって夏の草原をのんびり飛んでいこう、というわけです。変身を続けた北斎らしい、軽やかな一句です。



杉原 環樹
1984年東京生まれ。武蔵野美術大学大学院美術専攻造形理論・美術史コース修了。出版社勤務を経て、現在は美術系雑誌や書籍を中心に、記事構成・インタビュー・執筆を行う。主な媒体に美術手帖、CINRA.NET、アーツカウンシル東京関連。編集協力として関わった書籍に、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修著『公の時代』(朝日出版社)など。


(この記事は2021/7/6にNewsletterで配信したものです)

 

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